五十嵐神社
母の実家で聞かされてショックだったのですが、南会津にある母の実家は、源平合戦で義経が戦った屋島の戦いの際に平氏から源氏へ向けた挑戦というか催しとして有名な、軍船に掲げられた扇の的を射ち落とすという大役を遂げた歴史上の人物がルーツだったらしいです。その人物の那須与一が新潟県にある五十嵐神社の発祥となり、後になってそこの一門の人物が南会津に移り住んで今の母の実家へと繋がっているそうです。数年前に五十嵐神社の宮司さんが実家に挨拶にやってきてこの本を置いていったそうです。これは時間のある内に読まなければ。私は以前に吉川英治の小説で新平家物語を読んだのですが、その小説では義経に肩入れしていたのをよく思わなかった頼朝に睨まれて左遷されたと記憶してます。今となってはうろ覚えですが。母の実家の90歳になるじいちゃんが、元気なうちにこの五十嵐神社に拝みに行きたいとの希望を受けたのでさっそく下見に行ってきました。場所は今までに何度も散歩で通り過ぎていた場所であり、個人的に好きな峠である福島県の只見町から新潟県の魚沼市に抜けるR252の六十里越峠の美味しいところが終わった辺りと49号線で新潟県へ走って山間部が終わった辺りのちょうど真ん中でした。
バイクで下見に行くわけですが、ちょっと面倒な定期メンテのタイミングにぶつかり、バイクいじり開始。純正とは違って再利用できるエアフィルターの洗浄と注油作業です。 オイルも交換。いつもお世話になってる野沢町のバイク屋でワコケミの化学合成オイルを注入。 写真は下見を終えて未開拓の林道を物色しながら帰っているところです。自分一人でバイクで来るにはなんてことのない距離ですが、90歳のおじいちゃんを連れてくるとなると話は違います。これからおいおい暇を見て都合のいい日におじいちゃんを乗せてくる段取りを考えようとのんびり考えてました。そしておよそ24時間後にはまったく同じ場所に自分が立っているとはまったく想定しておりませんでした。母と母の姉であるおば、そしておじいちゃんを連れて母の乗用車を私が運転して到着。駐車場から本殿までけっこう距離もあり階段も長いのでおじいちゃんを私と母で支えながらのお参りです。境内での写真撮影は自粛したので、入り口で撮った一枚だけを掲載。ご容赦ください。
お参りを済ませたらちょうどお昼の時間。近場で見つけた食堂でお昼を済ませました。海鮮とごはんがとても美味しい、立派なお店でした。なぜか納豆に力を入れたメニューが揃っており、お店のこだわりを感じました。
神社まで行く時は会津若松から高速道路を使用して近場から下道を辿るルートでしたが、帰り道はおじいちゃんの希望で六十里越峠を通りました。お年寄りその他乗客を気遣いながらの運転だと、楽しいワインデングは一変して神経をすり減らす障害の塊となります。休憩を小まめにとり、主に道の駅に寄り道しながら帰りました。
おじいちゃんの昔年の願いをかなえてあげられてよかったです。高速を使えばなんてことの無い距離なので、一回だけじゃなく、言ってくれれば一年に数回は来れるよと伝えましたが、もうこれで満足したみたいでした。