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五十嵐神社お参り。オイゲン・ヘリゲルの「弓と禅」感想。

 

些事ではありますが、このたびは私が組み上げてからはや15年となる自作のパソコンが最近のウィンドウズの更新を期にスペックが追いつかなくなり、フリーズを連発するようになりました。

システムエラーのログを見ると、メモリ不足とのこと。急遽、新たにパーツを注文しようにもすでに時代遅れとなった規格では、ろくな物が見つかりません。かろうじてヤフオクでよさげな物を見つけて少し贅沢して落札しました。それでもこの調子だとただの延命措置にしかならず、近々パソコン自体の更新を迫られることになりそうです。

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こちらはデザインの仕事の様子。新商品のそば餅のポップ作りをしてます。

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以前作ったそば餅のラベルではそばの花のイラストに色付けしてなかったのを着色してみました。少しは見栄えが良くなったと思います。

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私がお世話になっている加藤そば道場の看板犬ハナと久しぶりにお散歩しました。

私を見かけるなり甘えてきますが、リードを付ける途端にものすごいトルクで私を引き回すのは相変わらずでした。

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ハナを制御するのに餌の携帯は欠かせません。牛タンジャーキーがこの日も安全装置の役割を果たしてくれました。

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私の母方の家系にゆかりのある那須与一の人物伝を読み終え、那須与一にゆかりのある新潟県の三条市にある五十嵐神社にお参りに行ってきました。

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社務所は無人で、近くにお住まいの宮司さんに電話をして御札とお守りを頂きました。母の家系との繋がりと那須与一の本の事を話すとお茶飲みに誘われました。

宮司さんの家には木工品や彫像が所狭しと置いてありました。作品性は日本史好きに刺さるものとお見受けします。

宮司さんとのお話の中で、新しくできあがるトンネルの事をお聞きしました。

福島県の只見町と山一つを隔てたここ新潟県三条市を結ぶトンネルが開通するらしいです。

福島県の方でも、芦ノ牧温泉のあたりに新しくトンネルを開通させるバイパス工事が着工しており、会津美里町から昭和村までは博士トンネルがまもなく開通予定。

これら一連の交通網整備の一環であるのは間違い有りません。宮司さんはこの新道路による経済的な刺激への強い期待感をお話してくれました。

五十嵐神社の最近の様子としては、コロナの影響で全国の五十嵐家が集う毎年恒例の行事が中止になってしまった反面、テレビが同じ番組を再放送する時に五十嵐神社を取り上げた内容を繰り返すもので、知名度が広がってかえって訪れに来てくれる人が増えているとうことでした。

私はバイクでのツーリングでしょっちゅうこの近くを通り過ぎるのもですから、その時はたまにお邪魔しますと約束してから私は帰りました。

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弓繋がりにはなりますが、那須与一の本を読んだ後に手に取ったのは大分前から読んでみたいと思っていたこの一冊です。

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戦前の頃に遡りますが、とあるドイツ人で神秘主義を研究していた神学者が日本の禅に興味を持っていたところ、日本での教職のつてを勧められて来日した際に、当時日本に存在した弓聖として名高い阿波研造のもとで修行した体験記を綴ったものです。

文体の表現がとらえどころが無く、ものすごく難解でした。ただ理解できたのは、禅に通じる思想は弓に限らず剣や書や華など多くは「道」がつく修練の中に根付いていたと言うことです。今のスポーツが最終的な形としてスポンサー契約によるお金稼ぎと密接になったオリンピックであるなら、道が付く弓道などは人の精神性の完成のみに重きを置いた過酷で難解な到達点であると私は自分なりに理解しました。

スポーツでも体操でも無く、禅とはひたすら自己の中を見つめ通して得られる得体の知れない深みであり、自己主張を基本とした西洋思想では到底理解に苦しみ、たちの悪い精神病と片付けられても仕方の無い遠い存在。

これは後書きにある翻訳者などによる解説に書いてあったことですが、戦後のGHQは危険思想として道のつく精神教育を禁止し、日本の西洋化を教育に盛り込みました。そして今の日本自身でさえ禅の教えからは遠ざけられてしまったらしいです。

あとは当時の哲学者のハイデガーを意識してなんたらかんたらと書いてありましたが、そこまではついて行けませんでした。

後に知りましたが、この本がアップル創始者のスティーブ・ジョブスの愛読書だったとは驚きです。60年代だか70年代には西洋で禅がブームになった時期があったそうで、その中でも「弓と禅」は中心的な書物として広まったらしいです。

この本はこれからも繰り返し読み返す事になりそうです。ものすごい深みを手にしてしまいました。

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