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民報サロン振り返り(禅とオートバイ)

 

今年の春に福島民報の坂下町駐在員さんが本部に転勤との事でお別れ会がありまして、その時に福島民報への随筆のお仕事を頂きました。

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(左が私で右が民報職員さん)

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私はしゃべるのが苦手でスピーチなど頼まれると恥をかくことしかなく、会話も突飛なことを急に持ち出したりとノーマルにこなすことができません。農業を生業としていても専門知識の話になると追随が難しくなります。しかし文章表現となると昔から学校などで評価が高く、一時期は趣味で小説を書いていたりしました。

そのことを話したのがきっかけで民報サロンのお仕事のお話をもらい、私は軽い気持ちで引き受けました。

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特別に何かを意識することなく普段から心に浮かんだことなどを自由に簡単に書いていいというお話でした。そんなふうに言われるとかえって力んでしまい、提示された文字数は1200文字前後だったのが、結果書き上げたときの字数は3000字以上。そこからなんとか削って2200字ほどに縮小したのですが、あとは新たに坂下町に赴任した駐在員さんに丸投げして実際に新聞に掲載されたのが上の画像の通りです。

計6回にわたり書き上げるにあたり、最初に取り上げたのがこの本でした。

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禅とオートバイ修理技術。多くのバイク愛好者が読むものと言えば大抵はマンガの「バリバリ伝説」や「あいつとララバイ」、「キリン」、「ケンタウロスの伝説」、最近だと「ケッチン」や「ばくおん!」などでしょう。小説を読むとなるとかなりの少数派になり、「汚れた英雄」は映画のほうだけを観た人ばかりで原作小説を読んだ人はかなり少ないようです。あとは「彼のオートバイ彼女の島」の愛好者がたまに集まるイベントがあるようです。

そしてこの本の場合、読むどころか読破する人というのも少ないそうです。バイク乗りというのはナルシストが多い。彼らはバイク賛美が好きで、本にもそれを求めます。この本は一部で賛美はすれども、内容の本筋は捉えどころがなく深くて難解です。レプリカブーム時代にこの本を手に取る走り屋は何人もいたそうですが、皆が途中で挫折したとはよく聞く話です。

この本に近い作品を挙げるなら、「アルジャーノンに花束を」と「星の王子様」を合体させたようなものと言えるのがやっとでしょう。思想を理解する助けとして挙げるなら1970年代に欧米で席巻した禅ブームの火付け役となった「禅と弓」があります。

「禅と弓」が広く読まれるようになったのがきっかけで「禅と何々」という似たようなタイトルの本が乱立したらしく、「禅とオートバイ修理技術」もその端くれになります。

科学技術が発達してある程度の段階となった20世紀初頭、世界はこのまま発達して幸福に包まれるとの希望いっぱいの夢があったのですが、それを裏切ったのが原爆や爆撃機や収容所のガス室など破壊と殺戮の為にテクノロジーを駆使した負の産物でした。そして世界では科学技術の発達に懐疑的な思想が広まり、テクノロジーを否定するに足る根拠を東洋思想の禅に見出しました。

スターウォーズでジェダイが超自然的な力で光線銃をものともせず敵を斬り捨てるのも禅ブームの流れです。

そんなふうに今ある文化の根底に深く根差した禅ブームの産物のひとつであるこの本を取り上げるというのは自分にとってちょっとした挑戦でした。しかも半分以上も理解できていないのに解説するという無理を押し通しました。

もっともっと勉強してこの本を完全に近いところまで理解できてから、改めて語ることを私は目指しています。

とりあえず、今回のブログの末には新聞掲載の際に削除されたところが多々あったことですので、削除されたところが残った状態のディレクターズカット版をここに掲載しておきます。

 

 

 

 

価値の探究 禅とオートバイ修理技術。

私はバイクを趣味としておりますが、そのきっかけは友人の中型バイクの後ろに乗せてもらった事でした。
自分でも運転免許を取得し、ボロボロの中古車を買い取ってそれを自分で直しながら乗り続けました。
私はもともと読書が好きな質でもあったので、バイクをテーマとした小説を読む事は自然な流れとなりました。
通好みとされているバイク小説としては「彼のオートバイ、彼女の島」を代表とする片岡義男と、大藪晴彦の「汚れた英雄」あたり。
そんな類のジャンルを漁っていたときにアマゾンのおススメに出てきたのが「禅とオートバイ修理技術」でした。
文庫本のジャケットは一面にハーレーのショベルヘッドが埋め尽くし、空冷フィンやハウジングの武骨で生々しい鉄の質感を見せつけます。
目に訴える渋さと相まって極めつけなのが、まったくと言っていいほどに色気の無い題名です。
禅とオートバイ修理技術。題名からしてバイクいじりの指南書か何かを連想することでしょう。それにしても禅という文句が一癖ありそうに思えます。
その由来は、この本が出版された1970年代当時アメリカで巻き起こっていた禅ブームにあることでしょう。
20世紀初頭から急激に発達した科学技術の進歩で生活は格段に良くなり、未来に対する憂いを全く持つことなく人々は文明がさらなる幸福を運んでくれることを期待してました。
それを裏切ったのが毒ガス、爆撃機、全体主義、核爆弾などの負の産物です。
そんな悪夢を経て科学技術に対する懐疑的な思想が広まり、そこに既存道徳に反発する若者たちのエネルギーを相乗して生まれたのがビートニクやヒッピーなどのカウンターカルチャー、文明を否定し破壊するムーブメントでした。
その中で東洋思想を取り上げることが持てはやされるようになり、そんな時勢の中で広く読まれたのが、オイゲン・ヘリゲルの「弓と禅」。
その禅ブームにあやかって、この本の底流に関わる東洋思想を表しての「禅」なのでしょう。
この本は哲学書と小説のふたつの側面を併せ持った構成となってます。
哲学のほうでは価値の体系を探る主人公の独白が連ねられ、ストーリーの方では主人公である父とその子のバイク旅が綴られます。
脳への電気ショック療法を受けた父親が子供とのタンデムツーリングを通して、失われた人格を取り戻すという内容です。
父親は生まれながらにして知能指数に優れ、飛び級で大学に進み、哲学の分野で自らが追い求めるテーマを突き止めたときに精神的な消耗が祟って廃人となり、警察に保護され裁判所命令によって件の療法により別の人格に生まれ変わりました。
父親は以前の人格が残した手記などに目を通し、その人格が到達した真理を掘り返す探究を進めます。
もうひとつ。一緒に旅をする子供は普段から学校や親戚に迷惑をかける問題行動で両親を悩ましており、父親にとってはそんなわが子に寄り添う目的もあっての二人旅だったことでしょう。
子供は精神面に不安定さを負っており、何らかのストレスを蓄積すると原因不明の腹痛となって表面化します。
発狂した父親を目の当たりにしたときの子供の心境を思えば理解できます。
父親は旅を進め、以前の人格の旧友を訪ねたり哲学的な考査を進めるうちに発狂の原因となった真理に迫ります。
同時に悪夢が頻発するなどして自身に異常をきたすようになりました。
父親はこれ以上進めばわが子に危害を及ぼす事を恐れ、西海岸に到達したあたりでわが子と別れ、以後は家族とも縁を切って生きていくことを心に決めます。
物語の初頭、ゲーテの詩からの引用でそんな父親の恐れが表されてます。
その詩とは、わが子を抱える父親が馬を走らせるというものでした。青白い顔をした息子は幽霊が見えると父親に訴え、最終的に死んでしまうというとても意味深な引用です。
それでも、クライマックスを経て最終的には幸福な父子がノーヘルで海岸線を南に向けて疾走するシーンで幕を閉じます。
この作品のもう一つの側面である、哲学的な考査に関してですが、「禅とオートバイ修理技術」の題名からとしてはテクノロジーと人との関わり方を論じる一方、本当の中心的なテーマは題名の副題にある「価値の探究」となります。
物事には理性的な洞察とそれに対して感性的な洞察のふたつがあり、前者を死の性質、後者を人間的な性質とも表現します。
時代は今や理性が先行したテクノロジー重視の科学帝国として成り立ち、自然から発生した人としての尊厳が追いやられている状態であると説きます。
私の拙い理解力で、この本が訴えるところの総合を申し上げるなら、それは原点回帰に行き着くというものでした。
作中、抽象芸術家を交えた会話の中で、回転肉焼き機の組み立てと彫刻は同じであると説くシーンがあります。
転じて化学と哲学も、もともとは同じであり、さらには料理も芸術も幅広い学術的な分野はもともとひとつででした。
ましてや、神話も物語もそして哲学も同じ。
物事の実体の認識に関わる主観と客観という行為もひとつであり、この二つに先行して意識が及ばない段階に価値の概念があるのだとか。
この本が言わんとするところを正しく理解するには多くの予備知識を要することでしょう。
私はどこかでヒントを見つけてはまたこの本に戻って探究を繰り返します。
いつ終えるのか、それは予想もできません。
ただ、何度でも読み返す価値がある本に巡り合えた。そんな喜びをわたしはかみしめております。

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