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民報サロン振り返り(武士道と性善説)

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福島民報社から頂いた随筆のお仕事4回目には、少し勇み足を出してしまったような気がします。

よりにもよって堅苦しいような、気取ったようなテーマを選びました。

そもそも「武士道」なるものに対して、アニメや映画など娯楽でしか培われたようなイメージしか持ち合わせておらず、何かの機会で理解を深めたいとは思っていたところでした。

その理解の助けとなる手がかりを求めて取り寄せた書籍は以下のふたつです。

ルース・ベネディクト「菊と刀」

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ついでにダメ押しでもう一冊がこれです。

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民報サロンにも書いたとおり、私の地元は戊辰戦争の現場でした。会津藩は滅ぼされ、白虎隊は自害。生き残りは北海道へ行ったり、アメリカの西海岸に移住したりと苦難の道を歩みました。

それから一世紀以上経った現代では、毎年慰霊祭が執り行われ、墓前では剣舞が奉納されます。

慰霊祭が社会として戦没者たちに寄り添う形ならば、私が個人として彼らに寄り添った気持ちを何かの機会で文章にしたいとは思っていたところでありました。

武士道への好奇心と、戦没した会津藩の先人たちへの個人的な追悼の気持ちのふたつを同時に文章で形にする。それを民報サロンというメディアで実現する機会が訪れたのは、とてつもない幸運だったと思い返します。

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執筆を一度終えて福島民報の編集者に送信した後も締めの文章にしっくり来ない気持ちを抱いたまま、近藤勇にゆかりのある愛宕神社を参拝してきました。

お参りを済ませ、長い階段を降りているときにふと「性善説」という言葉が浮かびました。

家に帰ってからも妙にひっかかるキーワードだと思い、頭の中でこねくり回して出てきたのが、震災の直後でも略奪行為が起こることの無かった日本人の品格の有りようでした。

海外から絶賛されたこの日本人特有の社会性の高さは、義を重んじる昔の人々の規範にあるはずだと思って綴ったのが民報サロン文中の最後の箇所になります。

武士なる者は文武両道というように武芸に限らず文化的な教養が求められました。そこには、武士という戦闘階級に立つ者であるからには、生きる事の喜びを常に理解し深めなければならないという切実な哲学が秘められています。

命の駆け引きをする立場にあった武士とは、戦争の道具でもなく、戦場の消耗品でもない、精神的にも肉体的にも人として完成され尊厳に満ちた存在でした。現代でいうなら宇宙飛行士に匹敵する人物像だった事がわかります。

時代の大きな隔たりの向こうで武士道に生きた先人たちを思うと、強い尊敬の念を覚えます。

明治維新以後の西洋化に加え戦後のアメリカ的価値観に見る競争主義と物質主義が日本に浸透する以前は精神的なものに重きが置かれた価値観がありました。

誰もが内に潜める仏性の開花を待ち望み、虚飾ではなく純粋さを貴ぶ。静けさの中の凄みという表現が的を得ているでしょうか。

道具を使い捨てする事に慣れ、環境負荷を代償にした快適な生活に胡坐をかいた大量消費型の生活の中で失われつつありながら、まだ日本の随所に見出す先人たちの心の面影を見つけるたびに、とても愛おしい気が沸き起こってなりません。

この時の民報サロンをきっかけとして、そんな気持ちを強める事となりました。日本文化の再発見と言いましょうか。とても有意義な仕事だったと思い返します。

以下は民報サロン掲載となた文章のテキストデータを残します。画像よりは読みやすいと思います。

 

武士道と性善説

 

第二次世界大戦のころ、ドイツ占領下のポーランド市街地でレジスタンスたちは狭い地下通路を通れる幼い子供たちを連絡手段として動員していました。
捕らえた子供に銃を突きつける兵士の姿を捉えた白黒写真が目に焼き付いて離れません。
イスラエルにはマサダ要塞という遺跡があります。籠城戦の末に兵士たちは家族たちと心中を遂げたという悲劇で知られます。
現代の悲しいニュースと重なるように、一家の長が順々に家族を手にかけ、最後には自害したと聞きます。
家族を巻き込んでの極限状況に臨み、悲劇を迎えるにあたった人たちの心境を思うとゾッとするほどに冷徹な深淵を覗いた気がします。
その同じような深淵を見せた歴史的な場所のすぐ近くに私は生まれ育ちました。
この会津に生まれながら、私はどうしても意識せざるを得ない疑問を持ち続けました。
なぜ、会津藩は無謀な戦いに挑んだのか。まるで昭和の玉砕を思わせます。
現代の年齢基準と照らし合わせるのも筋違いではありますが、年端のゆかない少年兵を動員しての家族を巻き込んだ総力戦は壮絶な印象を残します。
幼いころから白虎隊の話を聞いて育ち、年齢的に彼らを見上げる立場だったのがいつの間にか一回りも二回りも越してしまいました。
しかしながら自分の中での彼らの精神的な位置は未だに高いところに居続けています。
今では英霊である彼らをして、遠い未来で歴史の本に取り上げられるとも知れず血の通った肉体を持って人生を送っていた頃に彼らの内部に培われた倫理とは何だったのか。
武士道という思想を理解するために私が紐解いた書籍から帰結したのは,
今の健全な男性が持つ一般的な価値観と何ら変わらない、強さへの憧憬ではなかったかとの結論でした。
西洋化がなされた私たちの価値観では、強さとは逆境や障害などを切り開くものとして定着してますが、彼らの時代では違いました。
私情を殺し、己の幸福を捨て、為すべきことを為して義理を全うする。それがたとえ悲運だとしても、忍従し立ち向かう。
武士道には、市民革命で自由を獲得していった西洋の歴史とは相いれない、既存の秩序を厳かに守る価値観が読み取れます。

主に哺乳類の話ではありますが、牙や爪など強い殺傷力を持ち合わせる動物に限って高度な社会性を持ち、家族を形成します。
その観点からすれば、武器とは社会の裏の姿であり、武器の発達と社会の発達は密接な関係性が隠れている筈です。
戦闘階級という社会の構造を捨て、様々な犠牲と幸運の上に成り立った平和を謳歌する今のこの時代、日本刀は美術品としての価値の中に落ち着いてます。
その厳かでいて美しい日本刀が、人命を左右する実戦での実用品とされた時代に裏写しとした社会とは何だったのか。
仏教の教えでは人は本質的に善であり、皆いずれは仏になる可能性を秘めていると教えます。
武士道で重んじられる仁・義礼智信、五常の徳とは世の性善説を護る手段であり、それらを全うする道とは性悪説と戦う不断の努力であったとは言えないでしょうか?
災害が起きても警察力に頼ることなく秩序を重んじる日本人の在りようの奥底には、命を以ってして武士道に殉じた会津藩士の精神が生きていると私は信じます。

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