そば打ちとして関わる地方創生の努力
スタッフブログの更新がご無沙汰となり勝ちとなりました。現在は田植えシーズンの忙しさにもまれております。
今年は温暖な気候が目立つようで、いつもは真っ白な飯豊山が尾根のところの雪解けが進んで雪山としての迫力に欠けております。今年の異常気象を予感させる気がしてなりません。
今年から田植え機を一台更新しました。自動運転などといった先端技術の付加機能が目立ちますが、田植え機としての作業機械の部分の熟成も意外と進んでいる印象です。稲を植え付ける機構の正確さ、信頼性、スピードが年々高められている気がしました。
田植えシーズンを目の前に迎えるタイミングとなる4月中旬に、町のイベントである桜まつりには地元のそば打ち仲間(高寺蕎麦打ち伝承会)に混じって蕎麦食堂を開きました。
天候に恵まれず強風と散発的な雨に苛まれましたが、健闘は果たしました。
プロの調理師の協力で、本格的な天ぷらを現場で調理提供。その作業スピードと天ぷらの質の高さを両立した仕事の処理能力には驚かされました。とても心強い助っ人でした。
地元の伝統的な食文化である蕎麦打ちとしてこうした町おこしのイベントに参加するたびに、地域の観光資源の力としての伝統文化の重みを感じます。
一昔前にはリゾート法というものがありました。日本の対米輸出偏重を改める手段としてアメリカは日本に対して内需による経済循環の強化を求めました。その一環として首都圏に偏在した人口にレジャーの需要を提供することを目指し、地方に大型のリゾートホテルを乱立させます。それがバブル崩壊と人口減少でリゾート需要は一気に低迷。デカデカとした負の遺産が各地に残された形となりました。
中央の主導による地方リゾートの開発は”金とコンクリート”と揶揄されるように建造物などハード面に偏りがちでした。その反省として今では地域おこし協力隊など”人”などによるソフト面への転換を進めます。
地方の市町村では観光振興の部署を役場から独立させて法人経営の方式による運営への切り替えを目指しました。
私の地元である会津坂下町では観光物産協会という組織がそれを担います。
”金とコンクリート”による観光資源の大規模な開発から反省し、地方都市は自分たちの土地の魅力を自分たちの居場所にしか無い物に求めました。その探し求める先というのは自然と、その地方に根差した伝統や歴史に向かいます。
私が生業とする蕎麦打ちはそんな地方創生の役の一端を担っていることを意識します。その役割へと繋げてくれた、歴史書などに記されることもなく古来から蕎麦打ち文化を継承してきてくれた先人たちには頭が上がりません。