
↑の映画の上映会が会津坂下町の町民体育館でありまして、その会場前でマルシェを開くというのでお誘いを頂き、出店してきました。
上映会の数日前に音響機器のテストついでの試写会がありまして、観てきました。
タイトルからして食育的なドキュメンタリーか何かかなと軽い好奇心しか持たなかったのですが、観てみれば私には驚愕の連続でした。
保育園だか幼稚園で子供たちに畑・田んぼ仕事を積極的に体験させるのですが、それがうちでやってる小学生向けの田植え体験の比ではありませんでした。
自分たちで堆肥を作り、自分たちで作物を植えて育て、自分たちで収穫して大人の手助けを得ながら調理し食べる。このように実際に体験する工程が始まりから終わりまで一貫しています。
映画のタイトルにもあるように、焦点は菌と人間のかかわりにあります。
コロナ禍をきっかけとして世の中は無菌状態の清潔な状態を良しとする価値観が社会的に浸透しています。
この映画はその風潮に逆行するように、菌の有効性と共生を訴えています。正確には常在菌という、人間の健康を助けてくれる種類の菌を取り上げています。
常在菌は人体に限らず作物をも助けていて、完全有機栽培において菌による作物への抵抗性助長や発育促進をもたらす大事な要素として紹介しています。
この映画に映される子供たちの様子はとても眩しいくらいに笑顔にあふれていました。撮影者はとても長い期間子供たちと一緒に過ごし、撮りためた映像は膨大な量になっていた中から厳選して編集してこのドキュメンタリーを通路挙げたようです。
映像の中の子供たちを観察すると、体が泥んこに汚れるとか草が顔に当たるとかそういった現代子が到底嫌がる事への反応が根本的に違っているのがわかります。土の感触を積極的に感じ取り、自分の肉体への軽いダメージを笑い飛ばす。この子供たちは根本的に現代っ子とちがうと感じました。
現代の社会問題となっている引きこもり、登校拒否やいじめで心に傷を持った子供にこの映画に映されているような自然の中で農作業に励むことがセラピーになあるのではないかと想像しました。
最近の新聞にも書かれていましたが、幼少期の食生活で将来的な腸内環境は違いが発生し、早い段階から緑黄色野菜の摂取が旺盛な子供は精神的発育が良好なのに対して肉類や油中心の子供は感情のコントロールがうまくできない傾向があるらしい。
幼少期の食生活で発酵食品など常在菌のポテンシャルは緑黄色野菜と同じくらい重要なのかもしれないと思いました。
この映画はクラウドファンディングで制作資金を募って作られたそうです。
いちおう公式ページを掲載しておきます。
公式サイト 映画『いただきます ここは、発行の楽園』
上映会は映画館ではなく、公共の施設などを使用して上映会を全国各地で開いています。
調べてみたら明日と明後日に須賀川市で上映らしいです。
場所は水彩カフェ
稲刈りが終わっていれば、もう一度観に行きたいところです。
大分前ですが、山本五十六記念館に行ってきました。

田植えの繁忙期を終えての落ち着いた日常を取り戻した6月の中旬のことでした。

とある友人から本(↑)を借りていたのですが、一年以上借りっぱなしだったので、お返しに何かいい物をと思い、足を向けたのが新潟県長岡市にある山本五十六記念館でした。
記念館で思いがけない発見をしたのが、山本五十六の「誠」という思想についてでした。
山本五十六は20世紀初頭の西洋で流行していた思想である、「真、善、美」について独自の解釈を加えました。
「真、善、美」とは簡単に説明すれば、何らかの物事が最大限に完成された時、それは真実であることと、良い(善)ことと、美しいことの三つが同時に成り立っているという事を現した言葉です。
山本五十六はこれら真、善、美の三つを「誠」という一つの文字に集約させました。誠なるものは真実であり、誠なるものは良き事であり、誠なるものは美しい。
この考え方によるなら、人には真理への探究、正義、美学を求めて生きるように心がけるのが道理であると言えるでしょう。その生き方が、「誠」に尽くすという生き方です。なにか武士道的な響きが意識されてなりません。
美大出身であり、稲作という農業の一分野を生業とする自分にとっては、「美学」を切り口とした「誠」へのアプローチについての思索に捉われるようになりました。
現代の農業は大きな歪みの中にあります。特に日本にとっての稲作は農業の歪みの中でもトップクラスと言えるでしょう。食糧管理法で国による管理が強いられた長い歴史を経ての今現在、日本国民の食料の消費構造はすっかり変化し、同時に人口減少による消費量の絶対数は減少し、しかも米市場はグローバル化の圧力の前にその厚い保護政策は穴を広げている。
農業の安全性についても変化が求められています。70年代80年代から勢いづいた機械化と農薬の進歩と普及は資本主義に駆り立てられた勢いで、もはや自然の産物からかけ離れた工場での製造物のようなものを目指しています。
そして今さらになって農業による自然環境への負荷低減と食料自給における国家の安全保障面での価値の見直し、農業という産業を支える原料(原油や肥料の原料)の海外依存の刷新など数々の課題が積み立てられて農業者たちは悲鳴を上げている。
いったい農業とは何のための産業だろう。特に稲作農家としては、稲作の本当の在り方とは何なのか。そんな疑問が絶えません。
そのヒントがつい6月から7月にかけたとある出会いの中で見つけることができたように思えます。
農協の青年団体である農青連の活動として、福島県会津喜多方市の熱塩加納小学校で行われる「田んぼの生き物調査」という活動に参加してきた時のことです。
本来はこの日の活動内容は、野外に出て小学生たちと田んぼで生き物を捕まえてきて、新潟県佐渡島から特別講師として招かれた農業普及員に生き物の解説してもらうというものでしたが、あいにくの大雨で中止。
かわりに特別講師が事前に捕まえていた生き物たちを生徒たちに見せながら生き物の解説をし、最後はプリントを使って生き物たちの生態についての問題を解いて答え合わせをしました。
熱塩加納小学校の取り組みが紹介されるのですが、子供たちに農作業を積極的に体験させ、作物はすべて有機栽培で育てていました。
農作業という体験が子供の発育に何の作用があるのか、その科学的な根拠を私は持ちません。しかしその効果の大きさを目の当たりにする出来事がありました。
田んぼの生き物調査にゲスト参加として福島大学の食農学類から教授と大学院生と学生の三人がいました。その大学院生の実家では納豆を作っているのですが、それを聞いた小学生の一人が大学院生から納豆の作り方を聞きたいということで質問攻めにしました。
我々の控室として割り当てられた音楽室に、見知らぬ大人たちがゾロゾロとたむろする所にその小学生は臆することなく入り込んで大学院生を捕まえてのその光景である。
大学院生は小学生のあまりにも熱心な姿勢となかなか終わらない質疑応答のやりとりに窮して、ついには「ちょっと、外で話そうか」と連れ出す始末でした。
そのやり取りを横で見て私は衝撃を受けました。その小学生の好奇心、探究心、自発性、コミュニケーション能力、度胸というか物腰、礼儀正しさ。これがテレビゲームなど高度な娯楽に囲まれた現代の子供だろうか。まるで違う。
身体は小さいけど、その中身には大きなものを持っていると私は確信しました。これが農作業を教育に取り入れた成果の片りんなのだろう。
現代の農業には景観の維持や地域社会の結束や災害予防などといった多面的な機能性に価値があると認められています。しかしまさか子供の内面発育に絶大な効果があるとは思いもよりませんでした。
まさに教育的機能性における価値とでも言いましょうか。受験戦争学歴社会という名のジハードに取り付かれた現代日本の価値観からかけ離れている世界を見たように思えます。
そんな価値観ができ上る前からあったはずなのに、いつのまにか見失っていただろう、人間の尊厳を醸成する場所。そんなイメージを私は熱塩加納小学校に強く結びつけることになりました。
そしてその熱塩加納小学校みたいな場所は意外にも日本にはいっぱいあって、しかもドキュメンタリー映画となって認知を広めているということを知りました。

いったんここで区切って次回は↑について書こうと思います。

スタッフブログの更新がご無沙汰となり勝ちとなりました。現在は田植えシーズンの忙しさにもまれております。
今年は温暖な気候が目立つようで、いつもは真っ白な飯豊山が尾根のところの雪解けが進んで雪山としての迫力に欠けております。今年の異常気象を予感させる気がしてなりません。


今年から田植え機を一台更新しました。自動運転などといった先端技術の付加機能が目立ちますが、田植え機としての作業機械の部分の熟成も意外と進んでいる印象です。稲を植え付ける機構の正確さ、信頼性、スピードが年々高められている気がしました。

田植えシーズンを目の前に迎えるタイミングとなる4月中旬に、町のイベントである桜まつりには地元のそば打ち仲間(高寺蕎麦打ち伝承会)に混じって蕎麦食堂を開きました。

天候に恵まれず強風と散発的な雨に苛まれましたが、健闘は果たしました。

プロの調理師の協力で、本格的な天ぷらを現場で調理提供。その作業スピードと天ぷらの質の高さを両立した仕事の処理能力には驚かされました。とても心強い助っ人でした。

地元の伝統的な食文化である蕎麦打ちとしてこうした町おこしのイベントに参加するたびに、地域の観光資源の力としての伝統文化の重みを感じます。
一昔前にはリゾート法というものがありました。日本の対米輸出偏重を改める手段としてアメリカは日本に対して内需による経済循環の強化を求めました。その一環として首都圏に偏在した人口にレジャーの需要を提供することを目指し、地方に大型のリゾートホテルを乱立させます。それがバブル崩壊と人口減少でリゾート需要は一気に低迷。デカデカとした負の遺産が各地に残された形となりました。
中央の主導による地方リゾートの開発は”金とコンクリート”と揶揄されるように建造物などハード面に偏りがちでした。その反省として今では地域おこし協力隊など”人”などによるソフト面への転換を進めます。
地方の市町村では観光振興の部署を役場から独立させて法人経営の方式による運営への切り替えを目指しました。
私の地元である会津坂下町では観光物産協会という組織がそれを担います。
”金とコンクリート”による観光資源の大規模な開発から反省し、地方都市は自分たちの土地の魅力を自分たちの居場所にしか無い物に求めました。その探し求める先というのは自然と、その地方に根差した伝統や歴史に向かいます。
私が生業とする蕎麦打ちはそんな地方創生の役の一端を担っていることを意識します。その役割へと繋げてくれた、歴史書などに記されることもなく古来から蕎麦打ち文化を継承してきてくれた先人たちには頭が上がりません。
いつも道の駅あいづ湯川会津坂下にて出品しているフライドソバコのバージョンアップを視野に入れて新たな製法を試行しました。
今回は生そばの麺と同じような細さで切って揚げてみました。
網の形にまとまったまま固まってしまいました。
このままの形で食べようとしてもボロボロと砕けてしまい、せんべいも絡まって食べ辛いものでした。
短くして揚げてもせんべいはクネクネ曲がってしまって一定せず。
食べやすさ、パッケージングの効率化に向けての課題が残されました。
オーレックのスパイダーモアのストッパー穴が繋がってしまいました。
前年の酷使が祟りました。パーツを取り寄せて自分で交換します。
分解ついでに取付部を掃除しました。
パーツ交換完了。これくらいの整備は自主的にこなせるよう努力していきます。
私が所属する地元の会津坂下町商工会青年部の行事で鉄器産業で歴史のある新潟県燕三条市に行ってきました。
旅行計画は私が段取りしたものです。
初めに三条鍛冶道場にてペーパーナイフ作りを体験してきました。

施設はピカピカの備品が揃った公共施設。この町は博物館や図書館などの公共施設にかける出資が厚いように見受けられました。なかでも技術の伝承、歴史資料の保存と公開に対する意気込みを感じます。

ペーパーナイフはこの五寸釘から作ります。

コークスで熱して

叩いて延ばします。写真は取っ手の方を延ばす作業ですが、刃の部分も同様に行います。

講師のおじいさん。この写真はナイフを研磨してもらうところです。

仕上げにサンドブラストで表面仕上げ。


私が愛用する肥後守ほどとはいきませんが、新聞紙くらいなら普通に切れる質でした。後々にはレザークラフトで鞘でも作ってあげれば様になるでしょう。
続いてプラスチック製造加工の会社が隣接したミュージアムに行ってきました。中にはコレクションのクラシックカーや原付、バイク、発動機、農機具、レトロな日用品などがびっしりと展示されています。

ホンダの往年の名車にまたがらせていただきました。



これは三条市の図書館に展示されてたBMWのヴィンテージバイク。

これは藤次郎という刃物店に置いてあったホンダのヴィンテージバイク。

この燕三条という町はバイク愛の主張が強い印象を持ちました。

藤次郎というお店は内部の工場を公開したつくりとなっていて、ナイフづくりを見せることを念頭に置いてゲスト用の通路を内部に通した作りとなってます。
見学しているこちらとしては別に無視して作業に集中していてほしいのに、中の作業員さん達はわざわざ挨拶してくれます。従業員は若い人ばかりで、高齢化問題に悩む中小企業の気配はみじんもありません。ここまで若い従業員を引き付ける努力は並大抵のものではないでしょう。
二日目の予定は朝いちで弥彦神社を参拝。この後ロープウェーで山の上に登って御神廟をお参りするはずが天候悪化で中止。

予定変更で急遽海沿いを南に移動。マイナーなお店で浜焼きを買い、寺泊で海鮮丼を頂きました。


水揚げしたタコやサバやアナゴをその場でさばいて熱処理したものを浜焼きと言うそうです。
私はサバとタコを買いました。かなりの美味で、特にタコは歯ごたえがあって嚙み切るのも簡単。噛めば噛むほどうまみがにじみ出てきます。塩加減が絶妙。一見したらみずぼらしいお店ですが、商品の内容は超絶品でした。

昼食は寺泊の魚市からすこし南のはずれに位置するお店でとりました。

日本海側とはいえ、海際に近い土地は滅多に雪が積もることは無いと聞いていたのですが、この日の寒波は強烈だったようでこの通りでした。
写真はワイナリーです。天気が良ければもっと出歩いて風景を楽しむなり買い物を楽しむなりできたはずだとは思いますが、別に遠くもないのでまた日を改めて来ようと思います。
今年も道の駅あいづ津川・会津坂下にて蕎麦の試食販売をひらいております。
農閑期である冬の時期に生蕎麦の売り上げを挙げるための宣伝として初めて7年くらいが過ぎました。
最初の頃は試食のお蕎麦を配ってもほとんど見向きもされなかったのが、回数を地道に重ねることで手に取ってくれるお客様も増えて生蕎麦の売り上げもかなり上がりました。
今では蕎麦を打つ手間が追いつかないほどです。
だからと言ってもうやめるという事もなく、

厳しい寒さに耐えながら野外でそばを茹でる作業は身に応えます。私はこの仕事の後に体調を崩すことも何度もあるくらいです。かえってそれが初市俵引きと七日堂はだか詣りへの身体作りになったのかもしれません。





長年使い込んだ調理台にガタが出てきました。組付けのビスが緩んで無くなっているところが数か所。ビスのゆるみもあり、応急処置して仕事をつづけました。

坂下町の観光物産協会から借りているテントですが、いちばん使用頻度が多いのはこの蕎麦ふるまいでしょう。
大内宿と山都の二つのそば処に挟まれた坂下町の十割蕎麦を盛り上げようと始めた小さな取り組みでしたが、今は努力が十分に報われた時期に入ったと思います。
あとは方向性をどう広げるか。
一緒に協力してくれている藤川農産とでその話が尽きません。ひとまずは道の駅あいづ湯川・会津坂下から違う場所でのそばふるまいなどを検討しています。
今年も1月7日に柳津で開催される七日堂はだか詣りに続き、1月14日に坂下町にて開催される初市俵引きに参加しました。
七日堂はだか詣りの写真は自分で撮る余裕も撮ってもらう人もないのでここに載せるものは持ち合わせておりません。
七日堂はだか詣りは夜中にふんどし姿で外を走って円蔵寺に入り、堂内に垂れ下がる麻縄をよじ登って梁に上がる行事です。
私はダイエットを怠っていたので今回は諦めました。梁までは参加者が全員登れるわけでは無く、その一部だけが登り切ります。それでも縄に触るだけでもご利益があると言われているので、登る人が登りやすいように私は縄を掴んで安定させるように努めました。
去年は参加者を県内に限定しての開催で参加人数はどこか迫力に欠けるところがありました。今年は参加者の制限を撤廃したので遠方各地から続々と猛者たちが再結集しました。その規模は地元参加の人数を圧倒的に凌ぎます。
続いてその一週間後には地元の坂下町にて俵引きが催されます。
光栄なことに、今年の俵引きで軍配を持って俵に上がる役割は私が担当しました。一緒に写っているのは町長です。

出発前の集合写真。一緒に写っているのは福島市の観光物産協会の人と某議員さんと美里町の町会議員さんです。
俵引きを終えた後の集合写真。みんな寒い中頑張ってくれました。積雪が無いのが迫力に欠けますが、今年も無事終える事が出来てよかったです。

この数日後に寒波が再来。一気に雪景色となりました。なので今年の俵引きはいいタイミングで厳しくない気温に恵まれたと思います。
軍配を任されるのは一度きりが原則。来年から私はまた引き子として参加することになります。ゆくゆくは司会役である黄色いふんどしのポジションを任されるそうです。そっちこそが長時間寒さに晒される過酷な役職なので、考えるだけで憂鬱になります。その時までに体を筋肉粒々にして寒さに耐えられるよう体を仕上げておく必要があります。
もう12月の事ですが、農協の合同整備会にてコンバインの分解清掃を行いました。

農機具センターの職員とクボタからの整備士のサポートを受けながら複数の農家さんが自分のコンバインを整備します。

コンバインはあらかじめ専門のスタッフによって刈り取りの部位と脱穀の部位で分離され、その状態から農家自身が自分の工具を持ち寄ったり会場の工具を借りたりして整備作業を進めます。

刈り取りの部位は泥や籾などのゴミが詰まっているので、分解したらドライバーなど細いものでゴミを描き出します。その後組み立てるのですが、終わらなかったところは後日スタッフが組み立ててくれます。
しかしあまりにも進捗が沈滞すると所有者が呼び出されて自分でやらなければならなくなります。ある程度の緊張感を持たないと勤まらない内容です。
続いては会社の施設にてスタブルカルチの爪交換。時期としては一月でちょうど寒波が酷いタイミングでした。極寒の中で部品の取り外しと取付をしているとそれだけで体は温まり、朝から厚着してきた冬着を脱ぎ捨てて薄着で作業することになりました。

交換前の爪との比較写真。どんなに頑丈な鉄製の爪でも使い込めば削れてしまいます。わかってはいても機械の力と土による浸食は恐ろしい物です。

冬アスパラの収穫は二月になった現在は始まっています。写真は一月半ばに撮ったものです。

立派とまではいきませんがぼちぼち育っています。アスパラは現在、道の駅あいづ湯川・会津坂下にて販売しております。

冬に入り始めのタイミングで冬アスパラの植え付けが完了しました。
大型のポットに植えたアスパラを電熱線を敷いた木枠の中に並べてその上に籾殻を敷き詰めます。
籾殻を被せるま前に液肥を散布。去年は籾殻を被せた後に液肥をかけても浸透しなかったようで収穫は芳しくありませんでした。
ポットの苗に液肥が届いていなかったものと推測して、今回は籾殻を被せる前に直接ポットに液肥をかけることとしました。
アスパラ収穫予定は来年一月の中旬予定。その時にどんな感じに育っているか楽しみです。
農青連の活動で東京に行ってきました。
一泊二日の活動内容で、初日は農協ビルで研修、二日目は農業関係のベンチャー企業にて講演を聞いてその後は議員会館にて衆議院議員と懇談しました。

地元から出発するときはバイク用の防寒着で厚着していたのが、関東に着くころにはかえって暑いくらい。東京ではまだまだスーツ姿で出歩けるみたいです。
行事をすべて終えて帰りの新幹線に乗る前にすこしだけ寄り道。
リーガルコーポレーションのファクトリーショップですが結局目的のものは見つからずほとんど冷やかしに終わりました。
本当は大塚製靴に行きたかったのですが、東京駅から離れていて、帰りの電車の時間を考えると断念せざるを得ませんでした。
福島県の郡山駅から会津若松駅までの間を車で帰るなら東京での自由度は大きくなるのですが。
夕日と富士山が重なるタイミングでワンショット。来年は久しぶりに登りたいです。
若松駅に帰ってきて出迎えてくれるのは我らが赤べこ。
ロマネスコ収穫のお手伝いのお話があったので行ってきました。
このマンデルブロ係数の幾何学美術は見ていて癖になります。
こうして地元の肌寒い気候に身をさらして農作業していると、つい先日までスーツ姿で東京を歩いていたのが夢の中の出来事に思えます。
遠くの風景を遮るものが無い、自然の山の姿を見ると安心します。わたしは東京は合いません。
ロマネスコで本当に栄養があるのは葉っぱと茎の方らしいです。ためしに葉の付け根を食べてみるとみずみずしくて甘かったです。
収穫の報酬はロマネスコのおすそわけ。大量に収穫して会社に持ち帰ってみんなで山分けしました。
ついでに赤大根もいただきました。
この後日に大雪が降って畑も田んぼも雪に深く覆われてしまいました。この前日が最後の農作業となりました。
今年も残すところあと数日。これから年越しの蕎麦打ちという一家をあげての大イベントを控えるのみになりました。
それを終えれば七日堂裸参りもあるし、初市大俵引きがあります。落ち着けるのは一月中旬以降となるでしょう。
毎年ながら、年末年始は突っ走る過ごし方が私に与えられた宿命のように感じます。
年末年始をゆっくり過ごしたらそれは自分にとって実は良くないことなのかもしれません。
そば刈り終了。等級検査は一等取得。
今年の新そばシーズンはコロナ感染の影響を跳ね返しての大忙しです。このブログを書いている時点では少し落ち着きましたが、私はつい先日まで過労による肩こりと頭痛に悩まされて整形外科と整体での処方を経てなんとか復活しました。

11月に入るなり道の駅にて新そばイベントを開催しました。当日は天候に恵まれて期待以上の来客を迎え、開催両日ともにお昼過ぎには品切れの結果となりました。

開催前日、道の駅レストラン「くうべぇる」に生蕎麦を提供している蕎麦打ち名人たちが加藤そば道場に集まって一斉蕎麦打ち。みんなでわいわい作業するのもノルマも年越しそば打ちの予行演習みたいな雰囲気でした。

開催当日の現場の様子。道の駅施設の裏手にお蕎麦提供のキャンプを設置。多目的施設をイートインとして利用。当日の雨予報を警戒しましたが実際は曇りになっただけで済んだのは幸運でした。

スタッフの賄いは当然お蕎麦。西会津から仕入れたネギは辛さがひときわ強く、水にさわして辛味を抑える必要がありました。

続いて配送生そばの一斉蕎麦打ち。今度は藤川農産の蕎麦打ち小屋にてみんなで一斉蕎麦打ち。


この日のノルマもハードなものでした。打っても打っても終わらない先の見えない感じが年越しそば打ちと同じ心境を与えてくれます。
稲刈りも終え、そば刈りも終えて、あと今年の作業で残すところは後片付けの他に冬アスパラの準備となりました。
籾摺り担当である私の作業は乾燥機、放冷タンク、籾摺り機、グレーダー、色選機、計量器の分解清掃を延々とこなします。あとは田植え時期に育苗で使ったビニールハウスの冬支度。トラクターなどの機械の整理などといった作業が待ち受けます。

天気雨の日に見かけた虹を写真に収めました。

長年使い込んだトラクターとのお別れ。クボタ リバースを新潟県の業者さんに引き取ってもらいました。
パワステの切れた硬いハンドルと格闘しての真夏の除草剤散布はいい思い出です。
いつも黒煙吐きながら、エンジンのガスケットからは油を滲ませながら長年の酷使に耐えてくれました。
無くなったら無くなったでどこか寂しい気がしないでもありません。
